8月は、いのちを考える月です

8月は、「お盆(13日から15・16日)」、「広島(6日)・長崎(9日)に原爆投下される」「終戦記念日(15日)」と、私たちの「いのち」を考える大切な時期でもあります。

 

●「お盆」は、ご先祖を通して、私の「いのち」を考える行事です。

 世間では亡くなられたご先祖様があの世から戻ってくると伝えられています。ご先祖様を迎えるために、迎え火を焚いたり、精霊棚を拵え、ご先祖様の休む場所として、空間のある盆提灯やほおずきを飾ったりします。また、キュウリとなすに割り箸を刺し、馬(速く帰ってきて)や牛(ゆっくり帰って)を形取ったりしますね。そして、3泊4日の我が家で過ごした後に、送り火を焚き、又あの世に帰って行くと言われます。

 従って、お盆は、私がご先祖様(迷いの世界に生まれている)をおもてなしする行事であると。

 そう言えば、火葬場の行き帰りの道を変えて、帰ってくるなと言っておきながら、お盆には迷わず帰ってきてほしいと「ガス灯」を目印にお飾りするというような、この私は?と、思わず言ってしまう私は、ひねくれ者でしょうか?

 

◆浄土真宗の「お盆」

(「往生即成仏・・・いのち終わると同時に悟りの国浄土に生まれ、直ちに仏になる」と説く浄土真宗では、このようなことは言いませんし、いたしません!)

 

 仏教で「いのち」は、リレーされるいのち。

 

 いのちをいただく

 親鸞聖人は「一切(いっさい)の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)・兄弟(きょうだい)なり」(註釈版聖典834ページ)とおっしゃっています。つまり、すべての生きとし生けるもの(衆生)は、何度も生まれ変わりするうちに家族同然になるということです。仏教では、当然ながら人間のいのちに優劣はありません。そして、動物や植物のいのちも同じです。

 

『山鳥の ほろほろとなく 声きけば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ』

(『玉葉和歌集』)

この和歌は、奈良時代に活躍した行基菩薩(668-749)の和歌と伝えられています。

 

 

また、江戸時代の俳人に加賀千代女(かがのちよじょ)という方がいます。

 浄土真宗に帰依し、52歳の時仏門に入り「素園」を名乗る。

 

『朝顔に つるべとられて もらひ水

意味:朝顔が咲いているなぁ。朝顔の蔓が釣瓶に巻きついているが、蔓を切るのが忍びないので近所から水をもらってきた。

加賀千代女の代表作です。「朝顔に」とされている句もありますが、後の句軸などで「朝顔や」と詠み直したことがわかっています。蔓を切らない優しさと、釣瓶を動かせずに近所に助けを求める江戸時代の庶民の生活を生き生きと描いた一句です。植物の生命にまで愛情をそそぐような,優しい気持ちを歌っています。

 

『 ともかくも 風にまかせて かれ尾花 』

意味:とにもかくにも、風にまかせて揺れる枯れたススキのように、全てを仏様におまかせしよう。

作者が仏門に入ったときの句です。仏教では全てを仏の慈悲に委ねる考え方が一般的のため、風に身を任せるススキと、仏に身を任せる自分自身を掛けています。

 

 

小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)~- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、日本の俳人。本名は小林弥太郎 、一茶とは俳号である。小林一茶も浄土真宗に帰依し、法名は釋一茶。小林一茶は「子ども」や「すずめ」「かえる」などの小動物をテーマにした俳句が多いことで有名な俳人です。一茶の作品はどれも温かく、親しみ感じます。

『 やれ打つな 蝿が手をすり 足をする 』

 

現代語訳:おい叩くな。蝿が手をすり合わせ、足をすり合わせ命乞いをしているではないか

一茶の作風である「一茶調」が顕著にみられる一句です。「一茶風」とは、弱く小さい者へ視線を注ぐことを特徴とし、この句では汚いものとして認識されている蠅が命乞いをしていると表現し、蝿を叩こうとしている人間を制しています。蝿の足を人間の手にたとえることで、蠅が人間さながら命乞いをしているかのように見えてきます。

 

あまり知られていませんが、『「蠅一つ 打てばなもあみ だぶつかな』と言う句も詠んでいます。

 

小林一茶については、最誓寺HP別項を参照ください