戦争と平和を考える 最誓寺住職堀田了正

戦争と平和を考える  2017年8月15日    (浄土真宗本願寺派最誓寺住職 堀田了正)

2017年8月13日(日)19:54~21:54 テレビ東京で、『池上彰の戦争を考えるSP第9弾 『特攻』とはなんだったのか』が放映されました。
放映後の反響は、予想していたとおり賛否両論でした。歴史観、戦争、特攻、靖国問題等々、意見の違いがあるのは承知していますが、それでもなお真実を見極める大切さ、戦後生まれが8割を超える現在(総務省2014年10月1日現在の推計)、平和を語り続ける大切さが伝わってきた2時間でした。
この番組を視聴し、蓮如上人の500回大遠忌の法要に参拝した時のことを思い出しました。

★蓮如上人の500回大遠忌法要に参拝して【20年前を振り返る】
 ※今回は、特攻基地「知覧」を訪れてについて、お話ししたいと思います。
平成10年10月18日(日)法話会資料から抜粋
参考資料
1 「知覧特別攻撃隊」村永薫編 有限会社ジャプラン発行
2 「特攻のまち・知覧ーはるかなる大空に祈るー」編集・発行 戦後50年記念誌刊行会

 

本願寺第8代門主蓮如上人の500回大遠忌法要が、1998(平成10)年3月から11月まで、現代の大きな課題である「環境・家族・いのち」のキャンペーンテーマのもと、御本山にて勤修されました。
最誓寺は、10月5日から8日までの3泊4日の日程で、千葉組の皆さまと一緒に団体参拝に参加しました。
今回の団参は、御本山での法要参加と、太平洋戦争末期祖国の安泰を念じつつ南海に散った特別攻撃隊員を偲んで、特攻基地であった「知覧」を訪れ、全戦没者追悼法要を行うこと、そして、薩摩藩による永い間の念仏者弾圧による「かくれ念仏」の旧跡を訪れることが目的でした。
今回の団参は、観光旅行とは違い、「信心・いのち・家族・平和」を今一度真剣に考える良い機会となり、参加者一同、深い感銘を受けて参りました。

★知覧特攻平和会館参拝!(10/5)全戦没者追悼法要を営み、特攻隊員だった浜園重義氏から記念講演を頂きました。

写真左上 特攻銅像「とこしえに」 昭和49年建立
銅像は、知覧南方にそびえる開聞岳を見つめ、左手は軍刀をもつ格好で戦争を意味し、握手しようとしている右手は平和を象徴している。

写真右上 特攻銅像「とこしえに」の由来
特攻機は、遂に帰ってきませんでした。
国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は逝ったにちがいありません。特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつりりしい姿を永久に伝えたい心をこめて、ああ、開聞の南に消えた勇士よ。

 

★女子勤労奉仕隊員の日記(資料1 p77)
知覧高等女学校3年 特別攻撃隊担当 15歳 前田笙子(現永崎笙子)

昭和20年3月30日
今日は出発なさるとのこと。朝早く神社の桜花をいただいて最後のお別れとして私たちのマスコット人形を差し上げる。無邪気に遊ばれる。トラックで飛行機のところまで行って食糧等を詰め込んであげる。皆ほがらかに「元気で長生きするんだよ」と言われて愛機に飛び乗られる。愛機には、様々なマスコット人形が今日の出撃を物語るように、風にゆられている。出発なさったが、天気の都合で帰られる。大変残念がっていらっしゃった。

出撃前、子犬とあそぶ特攻隊員!
腕には女子勤労奉仕隊員から贈られたマスコット人形が抱かれている。
(写真は毎日新聞社提供)

★特攻隊員の遺書(資料1 p49) 
  少尉  第五七振武隊昭和二十年五月二十五日出撃戦死
  熊本県 十九歳 山下孝之           

 只今元気旺盛、出発時刻を待って居ります。いよいよ此の世とお別れです。お母さん必ず立派に体当たり致します。
 昭和二十年五月二十五日八時。これが私が空母に突入する時です。今日も飛行場まで遠い所の人々が、私たち特攻隊の為に慰問に来て下さいました。丁度お母さんの様な人でした。別れの時は見えなくなるまで見送りました。
 二十四日七時半、八代上空で偏向し故郷の上空を通ったのです。
 では、お母さん、私は笑って元気で征きます。
 永い間御世話になりました。妙子姉さん、緑姉さん、武よ。元気で暮らして下さい。
 お母さん、お体大切に。私は最後にお母さんが何時も言われる御念仏を唱えながら空母に突入します。
 南無阿弥陀仏
昭和二十年五月二十五日          (注 一枚の紙片に楷書)

★特攻隊員の遺書(資料1 p42)
  少尉  第七七振武隊昭和二十年五月四日出撃戦死 
  宮城県  十八歳 相花信夫
母を慕いて
母上お元気ですか
永い間本当にありがとうございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
    (注 ノート二頁に楷書でペン書き)

 

★池上彰『池上彰の戦争を考えるSP第9弾 『特攻』とはなんだったのか』を視聴して!
私は、戦後昭和21年11月に生まれましたので、戦争の惨禍は、直接体験していません。従って、戦争の悲惨さは、戦前・戦中・戦後の資料、映像、語り部などから、知る以外にはありませんでした。
今回、池上彰『・・・・『特攻』とはなんだったのか』を視聴し、新たに知り得たこと、感じたことをいくつか述べたいと思います。
番組では、池上彰氏が「戦争を知る人がどんどん少なくなってくると、何かこう、戦争を美化する、そういう動きがあるんですね。」と、戦争を美化する風潮に警鐘を鳴らし、「今、特攻隊の生き残りの人達が次々に声を上げています。そして「特攻隊は決して美化できるようなものではない」と、おっしゃっているんですね。戦争を美化するような動きに対して、「いやいや、本当の戦争を知ってほしい」と、多くの人が今、思うようになったのではないかと思うんです。」と、番組作成の意図を語られていました。

★番組を視聴し、新たに知り得たこと!
●出撃前の笑顔の写真は、軍部の許可を受けた記者が撮影。
特攻隊員から母と慕われた富屋食堂の女主人であった鳥濱トメさんのお孫さんであった明久さんが 、トメさんの話として、「トメさんが本当のことを語り継いでいかなければならない。笑って特攻に行ったなんてとんでもないと言っていた」と。そして、残されている写真で出撃する際に笑顔であることについては、軍が許可した記者が遺影用に撮っているのだという。

 

※特攻の写真として有名なこの写真は、戦意高揚の写真を撮るため集められた女学生で、写真を撮るとすぐ解散し、女学生達は全員泣いていたといわれる。

●靖国神社には行かないよ ―― ある特攻隊員の遺書
上原良司さんは、遺書を三通書いたという。
「私は戦死しても満足です。何故ならば、私は日本の自由のために戦ったのですから」と第一の遺書に書かれているのは、当時としては極めて異例であります。「・・・・ただ日本の自由、独立のため、喜んで命を捧げます」と「第二の遺書」に書いておられます。出撃前の昭和20年4月、最後の別れのため帰郷した夜、家族や近所の人々に対して、「俺が戦争で死ぬのは愛する人たちのため、戦死しても天国へ行くから、靖国神社には行かないよ」と語られたといいます。
(上原良司さん:特別攻撃隊第56振武隊員として沖縄嘉手納湾上の米海軍機動部隊に突入戦死、22歳。)

 

※特攻隊員の遺書には、軍部の厳しい検閲があり、世に残っているもののほとんどは、そこを通過したものといわれています。隊員が憲兵の検閲を避けるために鳥濱トメさんに手紙託し、投函を依頼したという。

●元特攻隊員のインタビューでは、「特攻隊は志願じゃない。純然たる命令だった」という証言も出たといいます。今、特攻隊の生き残りの人達が次々に声を上げています。そして「特攻隊は決して美化できるようなものではない」と、おっしゃっているんですね。戦争を美化するような動きに対して、「いやいや、本当の戦争を知ってほしい」と、そういう人達の話を今こそ聞く必要があるのかな」と、池上彰氏は、番組作成の意図を語られました。

★8月15日に政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で行われました。
(内容は、各報道機関記事を参照ください。)


★浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、第37回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(全日本仏教会後援)を、2017(平成29)年9月18日(日・祝)、国立・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行います。
この法要の願いとして、「千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要は、宗門として、悲惨な戦争を再び繰り返してはならないという平和への決意を確認するため、毎年9月18日に、東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑において修行しております。
法要では、国籍、思想、信条を超えて、全ての戦争犠牲者を追悼し、平和への誓いを新たにします。」

 

関連法話 1 2016.8. 2 非戦・平和の誓い

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