「俯瞰的」が流行語大賞にって声が・・・

2020年10月13日(火)

「俯瞰的」が流行語大賞にって声が・・・

 

 2020年10月13日(火)の地元紙「房日新聞」の連載コラム欄に、K氏が「流行語大賞に総合的・俯瞰的?」と題して一文を寄稿していた。

 私も、きっとそういう声が出てくるだろうと思っていたところにである。

K氏は、「詳しい説明ができなくなったような場面では、「総合的・俯瞰的な観点からこのように判断いたしました。」と答えるのが・・・」、そして、「この表現が面白おかしく、皮肉っぽく使われるようになると、本来の意味が失われていくのではないかと心配です。」とも述べている。

 全く同感である。俯瞰的という言葉の印象が、何かもやもやして、ストレス源になってしまっているのである。最初にいった人に右へならえ。政府の要人も、与党議員も。私にとっては印象が最悪のものとなってしまっているからである。

 

※流行語大 

 今年最も話題となった言葉を選ぶ『現代用語の基礎知識選 2020ユーキャン新語・流行語大賞』のノミネート30語が11月5日、発表された。ノミネート30語にはこのHPでも話題にした「アベノマスク」「アマビエ」「総合的、俯瞰的」などが取り上げられている。

 

 そもそも「総合的・俯瞰的な観点」という言葉は、日本学術会議の会員任命問題で、日本学術会議が法に基づいて推薦した105名の内、6名を除外したことの理由を菅総理が述べた言葉である。

 その後、加藤官房長官他が、口を揃えて、「総合的・俯瞰(ふかん)的観点」との表現を繰り返した問題に関してメディアが報じていた。この問題のコメントは、ここで述べている趣旨とそぐわないので、ここでは差し控える。

 即ち、私が法話をする時に、聞く人に少しでも分かりやすくするために、紙に印字したものを使っているということを話しているのである。

 

   「伝える」・「伝わる」、そして、「理解し」・「判断する」には!(part2)

 そこで、「俯瞰」という言葉を紙に表示し、説明したとすると、任命しなかった理由を国民がよく理解することができるかということである。

 いくら俯瞰という言葉を説明しても、国民の知りたいことは、そこにはないのである。

 元号おじさんが掲げた「令和」を説明するには、紙に書いて示した言葉は有効であるが。

 即ち、どんな理由で任命しなかったかと言うことが知りたいのである。

 あまり深く考えずに、任命されなかった6名の方々は、「学者としての研究に大きな問題があったのだろう」とか、「人間性に問題があったのではないか」とか、「法に触れるることをしているんではないか」・・・・と思う人がいるかもしれない。菅首相が分かるように説明しないでいると、六名の方の名誉・人権毀損になるのではないか。各大学の教授として教鞭を執り、講義を受けている多くの学生があり、多くの学術論文を出されているであろうし、そして、日本学術会議の会員から推薦された方々であるので、全くそう思わないのである。(現実問題として、これら教授のもとで学んでいる学生の中には、就職に不利益を蒙らないかと真剣に危惧している方々がいるそうだ。何と罪作りなことだろう。)

 そして、今度は菅首相が、日本学術会議から出された推薦リストを見ていないと発言したことである。何故このようなことを言うのか、その意図がわからない。火に油を注ぐことになるのは、目に見えている。政治的思惑があるのであろう。そして、このことが、「総合的・俯瞰(ふかん)的観点」とどうつながってくるのか私には理解できない。従って判断できないのである。

 

 前政権を踏襲すると宣言した菅総理が、前安倍総理の「前広」という国民にはわかりづらい発言を、今度は「俯瞰的」という分かりづらい言葉で踏襲したということであろうか。

 「推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた」とも述べていた菅総理。即ち、前例打破を宣言して発足した菅政権、なるほど有言実行かと思いきや、今度は、6名除外のキーパーソンと思われている杉田官房副長官の国会招致を、「官房副長官の国会招致は前例がない」(実はあったとのこと)と、自民党が拒んでいるという報道がなされた。

 どうもご都合主義ではないのかなと思ってしまう。

 前例がないという言葉は、言い訳には使えるが、それでは、新しいこと(前例にないこと)ができなくなるって、誰が考えても分かることをご承知かっていいたくなるのである。

 

 こう書いてくると、言葉はつくづく難しいものだと、考えさせられるのである。 

 

 もうじき、18:30になる。BS TBSの「水戸黄門」が始まる。「この紋所が目に入らぬか~っ」との台詞を聞いて、一時的にスカ~~ッとするとしよう。