「ガースー」と「一水四見」

2021年1月3日(日)

 

 新しい一年が始まりました。

 昨年は色々なことがありましたが、とりわけ、新型コロナウイルスの蔓延は止まることを知らず、「国民の生活と命を守る」と称しながらも、道筋は不透明。もう一年が過ぎたにも関わらずですが。

 

★安倍首相は、「第3次世界大戦」

 2020年4月10日、田原総一朗氏が首相官邸を訪れ、安倍首相と面会した際に、「第3次世界大戦は核戦争になるであろうと考えていた。だがこのコロナウイルス拡大こそ、第3次世界大戦であると認識している」と語ったという。

★菅首相は、「未曽有の国難」

 2021年1月1日年頭所感で、新型コロナウイルスの感染拡大を「未曽有の国難」と捉えていると表明した。

 未曾有(みぞう)とは、「未 (いま) だ曽 (かつ) て有らず」の意。ミゾユウと読んだ人がいましたが・・・・。

 国難とは、 国家が抱える危機的状況 。多くの国民の命に関わるような、あるいは国家の存亡に関わるような災難 。

 国難と称して解散総選挙を行った記憶は新しい。

 あれは確か、安倍首相が2017年9月28日臨時国会冒頭で衆議院を解散し、総選挙を行うことを表明した。その時の大義は、「国難突破」であったと記憶している。

 この時が、本当に国難であったのかは別として、今正にコロナ禍の日本は、「国難」に遭遇していることに、異論を挟む人はいないであろう。

 

★言行一致を望みたい。

 コロナ拡大は、核戦争以上の脅威という。一方、かつて無い危機的状況という。最大の緊張感をもってしかるべきだが、・・・・・行動、対策は?

 

★一水四見(いっすいしけん)

 このような現実を前にして、ふと仏教で言う「一水四見(いっすいしけん)」という言葉が、頭をよぎりました。

 

 一水四見とは、仏教の唯識(ゆいしき)のものの見方です。

 

人間にとっての水は

天人にとっては宝の池

魚にとっては己の住みか

餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ

 

というように、見る者によって全く違ったものとして現れるといいます。

 

 似たようなものに次のような古歌があります。

 「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」

 奈良市の猿沢池のほとりの興福寺(こうふくじ 国宝阿修羅像で有名です)は唯識を研究する法相宗(ほっそうしゅう)の本山です。

 

★「ガースー」と「一水四見」

 なぜ、「一水四見」が頭をよぎったかといいますと、

 例の「皆さんこんにちは。ガースーです。」発言です。菅総理が官房長官であった時の記者会見で見せた印象との乖離。東京新聞望月衣塑子記者に見せたあの対応。

 新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、第3次世界大戦に匹敵する「未曾有の国難」時にも関わらず、ニコニコ顔でインターネット番組の冒頭、「ガースーです」。番組の名前とコラボしたかったのかな?それとも側近の助言に従ったのかな?若者に受けるよってかな?安倍元総理の「アベノマスク」「星野源さんとのコラボ」の時のような。

 ネットでは、「空気が読めない」「記者会見もしないで」「コロナ感染拡大で国民が悲鳴を上げている時に」って批判を浴びでいました。批判ばかりではありませんでした。女子大生がある番組の路上インタビューに答え、「かわいい~~」と。そう言えば、番組に出場した人でしょう、大笑いする男女の声も聞こえていましたね。私は笑うどころか一瞬凍り付いていましたが。「ノーコー」発言もありました。受け止め方が、人それぞれと、強烈な印象を持った次第であります。これが、唯識でいうところの「一水四見」の例に当たるのか、見当外れも甚だしいのか、分かりませんが、人によっての受け止め方がそれぞれであるという点では、私なりには頷けるのですが。