第8期千葉組連研始まる!

 

千葉組第8期門徒推進員養成連続研修会(以下、連研)が、3ブロックに分かれ開催されることになりました。南ブロックでは、第1回が2017(平成29)年10月1日(日)、市原市五井:西光寺を会場に開催されました。今後2ヵ月に一回、会場を南ブロック各寺院持ち回りで、講師は南ブロック各寺院の僧侶により研修を深めることとなりました。

連研は、全員聞法・全員伝道の願いのもと、連続して講座を開催(全12回)し、浄土真宗の全体像をわかりやすく学び、門信徒の中核として活動する門徒推進員を養成する研修会です。 

第8期連研開催日程及びカリキュラム

※最誓寺の法話会でも、連研のテーマにそって学びを深めてまいります。このHPで掲載する各回の研修内容は、最誓寺法話会で示した住職作成資料を基に記述したものですのでご了承ください。(文責:最誓寺 堀田了正)

 

千葉組連続研修会 第2回 宗教の中の仏教 1 宗教の役割

2018.1.15 浄土真宗本願寺派最誓寺住職 堀田了正

1 宗教の役割
科学至上主義を信奉し、自分は無宗教者だと言ってはばからない者が、意外と迷信にとらわれることがあります。
「清め塩」や「火葬場への行き帰りの道を変える」などという、親しい人の死に直面した時にみられる諸行動。そんなの迷信・俗信だと思っても、みんながやっているからと責任転嫁し、何かあったら心配だと不安にとらわれて従ってしまうということも、よく見受けられます。
また、何か問題にぶつかった時に「困った時の神頼み」し、願いが叶わないとなったら、「神も仏もあるものか」と八つ当たり。
「鰮の頭も信心から」と、確たる宗教における信心ももたず、疑似宗教に惑わされ、気がついたら、抜き差しならぬ状態に身を置く・・・といった、宗教に関わる問題が絶えません。

日本人は、宗教に対し無節操?(無宗教)であると評する人がいます。確かに日本では、宗教を習俗行事にしてしまっている現状があります。
年末年始をみればよくわかるように、12月24日にはクリスマスケーキを買い、キリスト教にあやかり、12月31日には、除夜の鐘で仏教徒になつたつもりになり、1月1日には、神社詣でをして神徒として一年の幸せを願い、また、家では、新年を祝ってお節料理を食べて儒教徒になりすましています。
子どもが生まれてお宮参り。結婚式は神式またはキリスト教式。葬式は仏式のように。外国人からみれば、全く無宗教主義者に見えるでしょう。日本人の無宗教とは、宗教心が無いと言うのではなく、特定の宗教を信じないということいえます。

宗教対立などによる戦争やテロ等が起こっており、「宗教は社会に害を与える危険思想」であると断じる人もいます。
宗教は、心の弱い人がすがるもので、自分は普通に暮らしているので「宗教は必要ない」という人も多いでしょう。

「宗教」とよく対比されるものに「科学」があります。
「科学が発達すれば、やがて宗教は必要なくなり、消えてしまう」と言う人たちがいます。自称知識人に多く見受けられるとは、言い過ぎでしょうか。
確かに、宗教と呼ばれているものの中には、また、疑似宗教と言われるものの中には、科学の発達により否定されるべき事柄が存在していることも確かです。
占い、まじない、現世祈祷などの迷信的要素をもった宗教は、科学の発達により当然消え去っていくものです。
しかしながら「真の科学者は、宗教は科学と矛盾するとは決して言わない」という科学者が多いのも事実です。


ノーベル物理学賞の受賞を訪日の船内で聞いたアインシュタインが、訪日中に浄土真宗の僧侶と会い、「仏の心とは何か」と尋ねたほど、宗教、特に仏教に関心と理解を示していたことは、多くの文献で明らかです。
ここで、アインシュタインの言葉を紹介しましょう。
「宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である」
「生きる意味はなにか、その質問に答えるのが宗教である」
「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である」等々。
(※詳細は、アインシュタインと「姥捨て山伝説」を参照ください。)

 

イギリスの化学・物理学者マイケル・ファラデー
現在、世の中には電気を使った技術が数多くありますが、それらはファラデーの功績から生まれたといいます。アインシュタインが、壁にニュートン、マクスウェルとともにファラデーの絵を貼り尊敬していたとも伝えられています。
ファラデーは、敬虔なキリスト教徒であり、クリミア戦争時、政府から化学兵器の開発を要望された時、「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」と断わったという強い平和主義者でもありました。そのファラデーが、液体の入った試験管を指し示し、医学生に講義をしたことがありました。昨日、ある母親が、相談に来ました・・・・、「母親の涙には、化学では分析できない深い愛情がある」と。
「医学生として、様々なデータを医学的かつ合理的に見ることは大切だ。しかし、医療とはデータがすべてではない。この水の成分には、科学や医学では測り得ない、母の愛が含まれている。君たちも、温かい気持ちで患者を見られるようになってほしい。自分が医者である前に、人間であることを忘れてはいけないよ」
(※詳細は、ファラデー「母親の涙」を参照ください。)

 

宗教に関わる色々なことを述べてきましたが、釈尊が仏教を説いて2500年余、イエス・キリストがキリスト教を説いて2000年余、ムハンマド(マホメット)がイスラム教を説いて1400年余といわれています。世界三大宗教といわれているこれら宗教が、長年多くの人々の中で信仰されてきたのはどうしてでしょうか。
科学・技術が発達し、私たちの生活が便利に豊になってきたことは事実です。
反面、人類の生存を脅かす環境破壊、核兵器・化学兵器の軍拡競争による第3次世界大戦の危機など、危険な現状をうみ出してきているのも事実です。
科学の成果を人類の幸福のために方向付け、科学に豊かな「心」を与えるものが宗教であるといえます。


私たちは、「独生独死独去独来」(大無量寿経)といわれるように、一人生まれ、そして一人死んでいく存在であり、「自我」といわれる自己中心の考え方にとらわれる存在であり、罪悪性(法律や道徳に反するといった狭義ではなく)を内包した存在であり、「四苦八苦」といわれるように、苦から逃れることができない人生を送っているという点であります。
どんなに科学が発達しようとも、科学のみでは解決できない人間の根源的な不安や苦悩に安らぎを与え、生命の尊い価値を完全に実現するのが真の宗教の役割と言えるでしょう。
私たち人間の本質は、釈尊が真理を悟った2500年余前から、何ら変わっていないのです。