新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター

トピックス2020.09.25

 2020年4月7日に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に伴う緊急事態宣言が出されて以来、私たちは当たり前のように暮らしてきた日常から切り離され、聞き慣れない言葉や情報が飛び交う中での不安な生活を送っています。

 

 まず、このたびの新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた国内外の多くの方々に謹んで哀悼(あいとう)の意を表しますとともに、罹患(りかん)されている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。さらに、感染リスクにさらされながらも、懸命に治療・対策にあたられている医師、看護師をはじめとする医療従事者の方々、私たちのいのちと今の生活を支えてくれているすべての方々に深く敬意と感謝を表します。

 

 私たちといたしましては、今も困難な状況にある方に思いを寄せて、できることから始めていきたいと思います。その一環として、先の見えない新たな生活を送るすべての人へ向けてのメッセージポスターを制作いたしました。掲示・配布、SNSでの発信など、用途にあわせてお使いください。

 

 また、新型コロナウイルス感染症に注意しながら、法事・法要を行っていただけるよう、ガイドラインを作成いたしましたので、そちらも併せてお使いください。

 

『生かされている私』

(『本願寺新報』2020年10月1日号に掲載)

 

【メッセージ文について】

 

 自分のいのちは、自分の所有物なのでしょうか。

 

 この世に、自分の力でいのちを作り上げて生まれてきた人は一人もいません。私たちが"自分のいのち"と思っているものは、父母から受けついだものであり、その父母もまた、それぞれの父母からいのちを受けついでこの世に生を受けたのです。いのちは、はかり知れないほどのつながりの中で受けつがれてきたものなのです。

 

 また、いのちは、父や母という縦のつながりだけで育まれるものではありません。私の周りにいる人や、他の生き物、水や空気や太陽の光など、たくさんの縁のなかで、私は生きています。そのような無量の縁に支えられ今ここにいることは、まさに不思議としか言いようがありません。

 

 常に自己中心的なものの考え方しかできない私たちは、自分にとらわれて、いのちのつながりに気づくことができません。

 

 そんな私が仏法に出あうとき、自分で生きていると思っていたそのままが、生かされて今ここにいるのだと気づかされます。つまり、価値の転換がなされるのです。そして、生かされているという安心のなかで、自分にできることを精一杯つとめさせていただく生き方が開かれてくるのです。