私たちのちかい3「慈悲に満ちみちた仏さまのように」

2019年8月4日(日)

13:00~16:30

浄土真宗本願寺派慈光山最誓寺住職堀田了正

法話会・役員会・お盆前奉仕作業を行いました。

お盆前奉仕作業

15:00~16:30

予定では、墓地・境内のお掃除と仏具のお磨きでしたが、外気温41度(直射)でしたので、熱中症の危険が大のため、お磨きのみになりました。

 

私たちのちかい3

 

一 自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように

今回は、四カ条の三番目の「自分だけを大事にすることなく・・・」について、お話しいたします。

▆「自分だけ」を大事にしたらどうなるのか?
○○ファースト・・・・レディーファースト、アスリートファースト、

都民ファースト、アメリカファースト。

同じファーストでも「相手を尊重し、優先させること」で使われる場合と、「自分本位(自分さえ良ければ、他者はどうでもいい)、自己中心主義」を主張する場合があります。
人や集団が自身を大切するのは当然ですが、「自分たちだけが優先」だとする考え方は、仏教が説く「自省利他、自利利他」という世界の対極にある、「我利我利亡者、自損損他」の世界に陥る結果を誘引するといえます。

「自分だけを大事にすることなく」とは?
己が身にひきくらべて・・・
お釈迦さまのことばを集めたお経に、『法句経(ほっくきょう)』があります。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。」(129偈)
「己が身にひきくらべて」とは、暴力によって殺される側に自分の身を置いてみなさいということです。殺される生命の恐怖や苦しみを、自分自身の恐怖や苦しみとして感じ受けとめるなら、殺す側に立つことはありえないと説かれています。
2019年8月6日、9日は、広島・長崎に原子爆弾が落とされてから74年目にあたります。今なお多くの方々が苦しまれている現状を直視し、唯一の原爆被災国である日本が、「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努める」という言葉だけではなく、具体的な行動で示し、核兵器禁止が実現する必要があると思います。

 

「非戦・平和の誓い」
原爆ドームを背景にピースサインをして記念撮影をする修学旅行生
2015年の法話会は、「いのち」をテーマに行われました。8月2日の法話会では、「非戦・平和の誓い」をテーマに話し合いをしました。
その中で、本願寺新報に記載された「原爆ドームを背景に・・・」の記事に言いしれぬ哀しみを感じました。

「戦争や原爆の事実を知り、感じたことを伝えて」
広島別院で平和を語る集い開催! 

転載「本願寺新報(7月20日号)」

「非戦・平和を願って70年」をテーマにさまざまな取り組みを行ってきた安芸教区は、6月27日にシンポジウム「平和を語る集い」を広島別院で開きました。
映像作家の田邊雅章さん(77 西向寺門徒)が制作した記録映画「知られざるヒロシマの真実と原爆の実態」を上映後、田邊さんの講演を聞き、非戦・平和への思いを新たにしました。
田邊さんは講演の中で、「60歳を過ぎるまで生家のことも被爆していることも黙って、原爆に背を向けて生きてきた。でも、ある時、原爆ドームを背景にピースサインをして記念撮影をする修学旅行生を見かけ、ショックを受けた。
その下には、私の母と弟がいるであろうにと。しかし、その子たちが原爆の実態を知らないからだと気付かされた。原爆と向きあう決意をし、原爆投下前と直後を知る数少ない体験者として、原爆によって大切な家族、暮らしの全てを失ったものの一人として、体験したものでないとわからない戦争や原爆への怒り、憎しみ、悲しみを伝えなければならないと思った」と映像化に取り組んだ経緯を語りました。

ここで語られる修学旅行生を非難する私こそ、「己が身をひきくらべて」考え、行動しているのかどうかと気付かされました。

「分かち合う」とは?
「感情を共有」、「相手に対して共感する」、「心から相手と同じ思いを抱くこと」。
★親鸞聖人「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。・・・」 『御臨(ごりん)末(まつ)御書(ごしょ)』
浄土真宗の開祖である親鸞聖人のご遺言の書と伝わる『御臨(ごりん)末(まつ)御書(ごしょ)』に上記ような言葉があります。「一人いるときは二人、二人の時は三人と思ってください。うれしい時も悲しい時も、決してあなたは一人ではありません。いつもそばにこの親鸞がいますよ」という意味の言葉です。
「報恩講の歌」は、上記に示した『御臨末の御書』をもとに書かれています。

 

報恩講の歌
 作詩 黒瀬 智円   作曲 野村 成仁 
1 和歌の浦曲(うらわ)の 

  片男波(かたおなみ)の
  よせかけよせかけ 帰るごとく
  われ世に繁く 通いきたり
  みほとけの慈悲 つたえなまし
2 一人いてしも 喜びなば
  二人と思え 二人にして
  喜ぶおりは 三人(みたり)なるぞ
  その一人こそ 親鸞なれ
3 なごりのみ言(こと) さやかにして
  み名よぶ声を 慕いきまし
  法のつどい み座ごとには
  み影をうつし 臨みたもう 

寄り添う(分かち合う)
東日本大震災・福島第一原子力発電所災害に関して、「(中間貯蔵施設建設で)最後は金目でしょ」、被災地を地盤とする国会議員のパーティーで議員を「復興以上に大事」、東日本大震災の被害に関して「まだ東北で、あっちの方だったからよかった」等の発言は、相手に対して「寄り添う」「喜びや悲しみを分かち合う」という、人間として大切な心と大きな隔たりを感じます。

「慈悲に満ちみちた仏さまのように」
仏さまの心=慈・悲・喜・捨=四無量心(しむりょうしん)
四無量心は、悟りを開いた釈尊の心には、慈、悲、喜、捨という四つの無量な心があるといいます。慈というのは楽を与える。悲というのは苦を抜く。そして楽を与えられて、苦が抜かれた姿を見て喜び、あの人の苦を私が抜いてやったのだ、あの人に私が楽を与えてやったのだという、そういう「オレ我」という思いを捨てるというのが捨です。(喜捨=布施)
 
大慈大悲=仏さま 小慈小悲もなき身=凡夫(親鸞)
全てのものを分け隔てなく救うという阿弥陀如来に対して親鸞聖人は、我が身を「小慈小悲もなき身」と鋭く洞察されています。

 

小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき

『愚禿悲歎述懐和讃』   親鸞聖人八十六歳


だからこそ、「恩徳讃」に「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」と詠われています。

小慈小悲もなきこの私には、「慈悲に満ちみちた仏さまのように」人と喜びや悲しみを分かち合うことは大変難しいことです。
 しかし、心がけたい言葉であります。

境内樹木を伐採しました。

2019年7月20日(土)

本堂前左側の泰山木が大きくなり、傾きはじめ、危険になったため、思い切って伐採しました。同時に、花桃・八重桜・サルスベリ、キンモクセイも丈を詰めました。