2021年1月11日(月)
浄土真宗本願寺派最誓寺住職堀田了正
東井義雄先生の言葉
「失敗は私に、私の一番いけないところを教えにきてくれた大切なお使い」
受験シーズンがやってきた。新型コロナウイルスの都道府県感染者数が、毎日過去最大を記録を更新している中、萩生田光一文科大臣は2021年1月5日に臨時記者会見を行い、大学入学共通テストを予定通り実施する考えをあらためて表明した。緊急事態宣言が出された場合も学校の一斉休校は避けることが適切とし、高校入試なども予定通り実施することを求めた。
受験シーズンになるといつも思い出すのは、東井義雄先生のことである。
最誓寺法話会は、毎年テーマを決めて行ってきた。古い話になるが、2001(平成13)年の法話会は、「家庭にお念仏の灯を!ー東井義雄先生からのメッセージに学ぶー」をテーマとし、1年間行ってきた。。
京都の法蔵館という出版社から出されたカレンダーに「ほのぼのカレンダー」がある。このカレンダーには、東井義雄先生の心にしみる法語が掲げられている。
1月は、「生きる喜びに めざめさせてくださるのが ほとけさま」
2月は、「こころの味」を大切にする家庭」。そして、受験シーズンということもあり、東井義雄先生の著書中に書かれている「ある中学生の作文 元服」を題材とした。
東井義雄先生 プロフィール
1912年、兵庫県但東町の浄土真宗本願寺派東光寺に生まれる。1932年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小中学校に勤務。ペスタロッチ賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など数々の教育関係の賞を受賞。また、著書も共著を加えると百冊にものぼり、篤信の念仏者としても知られる。1991年4月18日、往生。
「日本のペスタロッチ」「東の斎藤喜博、西の東井義雄」とも称され、教育関係者の中に知らない人はいないといわれるほど、教育界に与えた功績は大である。
2001(平成13)年1月27日(土)
最誓寺法話会資料
◆家庭にお念仏の灯を!ー東井義雄先生からのメッセージに学ぶー (今年のテーマ)
2001(平成13)年2月25日(日)
第50回法話会資料 2
『若い教師への手紙2 子どもを見る目・活かす知恵』東井義雄著 明治図書
「ある中学生の作文:元服」 P195~p197
(前略)ある中学生の作文を思い出す。
元服
ぼくは、今年三月、担任の先生からすすめられて、A君と二人、○○高校を受験した。○○高校は私立ではあるが、全国の優等生が集まってきているいわゆる有名高校である。担任の先生から君たち二人なら絶対大丈夫だと思うと、強くすすめられたのである。ぼくらは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、ぼくは猛烈に勉強した。
ところが、その入試で、A君は期待通りパスしたが、ぼくは落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまったのだ。何回かの実カテストでは、いつもぼくが一番でA君がそれに続いていた。それだのに、そのぼくが落ちてA君が通ったのだ。
誰の顔も見たくないみじめな思い。父母が部屋に閉じこもっているぼくのために、ぼくの好きなものを運んでくれても、やさしいことばをかけてくれても、それがみんなよけいにしゃくにさわった。なにもかもたたきこわし、ひきちぎってやりたい怒りに燃えながら、ふとんの上に横たわっているとき、母がはいってきた。
「Aさんが来てくださったよ」
という。ぼくはいった。
「かあさん、ぼくは誰の顔も見たくないんだ。特に、世界中で一番見たくない顔があるんだ。世界中で一番いやな憎い顔があるんだ。誰の顔か、いわなくたってわかっているだろう。帰ってもらっておくれ」
母は言った。
「せっかく、わざわざ来てくださっているのに、かあさんにはそんなこといえないよ。あんたたちの友だちの関係って、そんなに薄情なものなの。ちょっとまちがえば敵昧方になってしまうようなうすっぺらいものなの。母さんにはAさんを追い返すなんてできないよ。いやならいやでソッポ向いていなさいよ。そしたら、帰られるだろうから」
といっておいて、母は出ていった。
入試に落ちたこのみじめさを、ぼくを追い越したことのない者に見下される、こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、ぼくは気が狂いそうだった。
二階に上がってくる足音が聞こえる。ふとんをかぶって寝ている、こんなみじめな姿なんか見せられるか。胸を張って見すえてやろうと思って、ぼくは起きあがった。
戸があいた。中学の三年間、A君がいつも着ていたくたびれた服のA君。涙をいっぱいためたA君が、くしゃくしゃの顔で、
「B君、ぼくだけが通ってしまってごめんね」
やっとそれだけいったかと思うと、両手で顔をおおい、かけおりるようにして階段をおりていった。
ぼくは恥ずかしさでいっぱいになってしまった。思いあがっていたぼく。いつも、A君には負けないぞと、A君を見下していたぼく。このぼくが合格してA君が落ちたとして、ぼくはA君を訪ねて「ぼくだけが通ってしまってごめんね」と、泣いて慰めにいっただろうか。「ざまアみろ」と、よけい思いあがったにちがいない自分に気がつくと、こんなぼくなんか、落ちるのが当然だったと気がついた。彼とは人間のできがちがうと気がついた。通っていたら、どんなにおそろしい、ひとりよがりの思いあがった人間になってしまったことだろう。落ちるのが当然だった。落ちてよかった。本当の人間にするために、天がぼくを落としてくれたんだと思うと、かなしいけれども、このかなしみを大切に出直すぞと、決意みたいなものがわいてくるのを感じた。
ぼくは、今まで思うようになることだけが幸福だと考えてきた。が、A君のおかげで、思うようにならないことの方が、人生にとって、もっと大事なことなんだということを知った。
昔の人は一五歳で元服したという、ぼくも入試に落ちたおかげで、元服できた気がする。