仏教語 空手還郷 眼横鼻直

2020年5月1日 

眼横鼻直

 「眼横鼻直」-読みはガンノウビチョク。眼は横、鼻は縦に付いているというごく当たり前の意味。

 この言葉は今から750余年前、曹洞宗を開かれた道元禅師(1200~1253)が、24歳の時中国に留学し、天童寺如浄禅師に学ばれ、28歳で帰国。そして先ず、禅の根本道場として興聖(こうしょう)寺を建立します。その開設に臨んでの上堂(修行者に対する説法)の一節が『永平広録』にあります。
「空手還郷(くうしゅげんきょう)」、「眼横鼻直(がんのうびちょく)」というものでした。
 空手還郷(くうしゅげんきょう)とは、「経典や仏像など持ち帰らず、手ぶらで祖国日本に帰ってきました」。
 眼横鼻直(がんのうびちょく)とは、「眼は横に鼻は縦についていることがわかった」と言われたのです。
 経典や仏像などは持ち帰らずに、ただ一つ「目は横に、鼻は縦についていることがわかって、空手で帰ってきた」と。

 当時、中国留学を果たした僧は、貴重な仏像や文献・経典などを土産に持ち帰るのが習いでした。
 帰国を知った人々は、道元にも同様のことを期待して待ち受け、「中国から何を持ち帰ったか」と尋ねます。
 ところが道元は、「眼横鼻直 空手還郷」(がんのうびちょく くうしゅげんきょう)と言い放ちます。
 「眼は横に、鼻は縦についているということを学んできました。それ以外に得てきたものは何もありません」
 人々は落胆どころか呆れてしまい、「道元はどうかしてしまった」と言う噂がかけめぐったと言われます。
 「眼は横に、鼻は縦についている」と言うのは、幼子にも分かるあたりまえのこと。
 しかし道元は「世の中の出来事はすべて、本来そのようにあるのがあたりまえだ」と言うばかりなのです。当たり前のことを当たり前だと受け止められない。これが悩みの元になるのです。人を羨み、妬み、自分を見失う。自分は、自分以外の何者にもなれません。

 当時の中国は、日本からすれば世界の文化の中心ともいえる国でした。
 道元禅師はそこへ行って本場の仏教を4年間学んできた訳ですから、さあどんな教えを説いてくれるのかと集まった人々は期待していたと思います。
 しかしあにはからんや、まず発せられたのは上のように「眼横鼻直(がんのうびちょく)なることを認得して空手還郷(くうしゅげんきょう)、一毫も仏法無し」だったわけです。
 意外な言葉ですが、しかしむしろこれは端的に道元禅師の仏法を表しているのです。
 目は横に、鼻は縦についている「あたりまえのこと」じゃないかとわたしたちは思います。道元禅師のようなお方が命がけで宋にまで渡り4年もの間、法を求め修行をされて、わかったことが、眼横鼻直(がんのうびちょく)ただひとつだと・・・。
 それほど「あたりまえのこと」の有り難さを分からないのが私たちではないかとお示しくださったのがこの言葉です。
 道元禅師でさえ四年の歳月がかかったのです。易しくて、難しい事実です。私達は果たしてすべてを、見るがまま、聞くがまま、あるがままに受け取っているでしょうか。
 仏教というと、私たちは特別なものとして構えてしまいますが、他人の意見、自分の主義主張にとらわれて、本当の姿を見失っているのではないでしょうか。眼は横に、鼻は直に、じっくり味わいたい句です。

 「眼横鼻直なることを認得して空手還郷、一毫も仏法無し」という言葉にはそんな意味が込められていると思います。
 道元禅師の世界に於いては、お経に書いてある経文や僧侶が説く教えが仏法であるのと同等に、太陽が東から昇るのも、月が夜西に沈むのも、雲が切れて山が姿を表すのも、雨が降れば山の木々は潤って低くたれるのも仏法であり、ただその中で日々を過ごしているだけであると説かれています。
 当たり前のことを当たり前に見、当たり前のことを当たり前に行うことこそが道元禅師の示された仏法の道でしょう。
 私たちは、あたりまえをあたりまえに行っているでしょうか?食事をすること、掃除をすること、風呂に入ることなど。
 食事とは「いただきます」私たちが食する野菜の生命や魚の生命、肉の生命など動植物の尊い生命の犠牲の上に成り立っていること。動植物の生命を食することにより私たちの生命が保たれています。だから「生命をいただきます」と感謝していただいているのです。生かされているのです。
 掃除とは掃除周りが綺麗であれば掃除はしない、汚れているから掃除をする。ということでなく、自己を磨くこと。己の心を磨くことが掃除であります。
 
 これらあたりまえの日常生活の営みを真剣に行じていくことが、眼横鼻直の意味するところであります。
 日常生活を真剣に行じることが、すべての人が宿している、仏さまの種(仏性・仏心)が芽を出し育ち、花が開くのであります。

 

備考
1 出典(永平広録より原漢文)

 「山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低る。」(永平広録より原漢文)

★意訳

 「私はそれほど多くの寺で修行をしてきたわけではない、ただ偶然にも師である天童禅師に会うことが出来、そこで眼は横、鼻はたてに付いているというごく当たり前の事を悟り、その他のことに惑わされることが無くなった。そしてお経もなにも何も持たず空手で帰ってきた。だから取り立てて仏法などというものは一毫(毛筋一本)も持っていない。日が東から昇り、月は夜西に沈む、雲が去れば山が姿を現し、雨が来れば山の木々は潤って低くたれる。ただその中で日々を過ごしているだけである。」

2 妙好人「源左」さんの言葉
 源左さんという南無阿弥陀仏のお念仏を喜ばれた方が「急な雨が降っても鼻を下に向けてつけておいてもらったいるので有り難い」と仰有ったという話を聞いても、同じように有り難いと思える方がどれほどおられるでしょうか?

3 米沢先生が心臓の鼓動や呼吸の話をされて「生かされて生きているのだ」と耳にタコができるほど繰り返されましたが、私は、頭ではそのとおりだ・・と分かっても、心底有り難いなどとは思えませんでした。
 そして信仰をもっている人は「あたりまえのことの有り難さ」がわかるのにちがいないと思ったものです。それで、有り難く思おう、思わなければ、と努力しましたが、やっぱり「あたりまえのこと」は「あたりまえのこと」でした。 
4 一休禅師の説法
 一休禅師(1394~1481)に面白い話があります。 
 ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのである。
 いつの間にか、その鉢植の前に人がきができた。誰もが曲った松と立札を見て、まっすぐ見えないかと思案した。だが誰一人として、松の木をまっすぐ見ることはできなかった。
 暮れがた、一人の旅人が通りかかった。その鉢植を見て、「この松は本当によく曲りくねっている」と、さらりと一言。それを聞いた一休さん、家から飛び出てきて、その旅人に褒美をあげたという。
 その旅人だけが松の木をありのままに見たのである。他の人は一休さんの言葉に惑わされてしまった。褒美に目が眩み、無理に松の木をまっすぐ見ようとしたのである。
        (『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)

 そんな私にも、ひとつだけ気付かされたことがありました。
 その「ありのまま そのままの事実」を有り難いとも、不思議だとも思えない自分が「今ここにいる」というのも事実です。
 「ありのまま そのままの事実」に落ち着けたとき・・・「あたりまえのことの有り難さ」がわからないままに生かされていることの不思議さに気付かせしめられました。

 また、過ぎてしまったことはいくら考えても取り返しがつきません。これも、当たり前のこと。 人は当たり前のことに気付かないがゆえに、苦しむのです。

 道元は「眼横鼻直」と言う言葉を借りて、「あるべきものが、あるべきようにあることが分かった」と言っていたわけです。

 過去や未来に心迷うこともなくなった。つまり道元は仏道修行が目指す悟りを得て帰ってきたのだと語ったのです。だから道元は、何も持たずに帰って来たのです。

 もう一つ。
 中国に渡った道元は各地の僧堂で修行し、仏道の真髄を極めようと研鑽(けんさん)を積みますが、知識は増えども一向にこころの清浄には至りません。