福田寺住職藤崎史観師を偲んで

福田寺第14世住職藤崎史観師を偲んで

(通夜での法話)
2017.3.14 18:00

福田寺本堂 
千葉県 浄土真宗本願寺派 最誓寺住職 堀田了正
                                                                                                
恵日山 福田寺第14世住職 釋史観(俗名 藤崎史正)師が、2017(平成29)年3月9日(木)72歳を一期として、往生浄土の素懐を遂げられました。
藤崎ご住職は、私の2年先輩であり、教員・僧侶として、生前大変ご指導をいただきました。ここに師を偲びながら、哀悼の意を表したいと思います。

藤崎住職との想い出
★教師として
 藤崎住職は、20年程前、モンスターペアレント・生徒指導困難校などが取り上げられていた頃、鴨川市教育委員会に勤務され、教育行政にその指導力を遺憾なく発揮されました。 また、中学校長として、あるべき学校教育のビジョンを掲げ、お互いの信頼関係を基軸に生徒・保護者・教職員へ真っ正面から向かい合い、温かい心を持って接してこられました。
★僧侶として
 藤崎住職は、若くして福田寺住職を継職し、教職を兼職しながらも、門信徒共に、

福田寺を念仏の道場として守り、浄土真宗の興隆に尽力されました。また、千葉組組長、南葉会会長としても、大きな足跡を残されました。(千葉組とは、千葉県の浄土真宗本願寺派のお寺で組織している会で、私たちは南ブロック南葉会に属しています。)今から10年程前、藤崎住職は千葉組の組長に推挙され、私他2名を副組長に指名し、5年間にわたり、組を運営されてきました。

師が組長の時は、宗祖親鸞聖人750回大遠忌をお待ち承けする時期に当たっていました。

藤崎組長は、千葉組としてのお待ち承け法要を勤修するに当たっての組織を立ち上

げ、若手僧侶を適材適所に抜擢・配置し、今の若手は本当に素晴らしいと讃え、法要を成功に導きました。また、過疎・過密という千葉県の現況を的確に把握し、課題解決の方策を検討することに力を入れてくださいました。

★良き家庭人として

また、藤崎住職は、家庭においては、良き夫であり、良き父でもありました。美那子夫人の言葉を借りるならば「何でもお父さんがやってくれるので、私は何にもしないで良くてよ」と常々申されておりました。言葉半分として、お互い深い絆によって結ばれお互い信頼しあって、苦楽をともにしてこられました。 

 

文学と共にこよなく酒を愛し、「お酒は常温に限る。それも勝浦の銘酒腰古井の純米吟醸」と。実は、私は5年ほど前からお酒を休憩しておりますが、私もお酒が大好きであることを知っていた藤崎住職が、「早くまた一緒に杯を交わしたいねえ」と申されていました。それもかなわなくなりましたが、酒席は実に楽しく、大きな声で語り合ったことが懐かしく思い出されます。

■藤崎住職お礼の言葉(御会葬御礼から)
 生前藤崎住職が、皆様へお伝えしたいお言葉を遺されていました。

差し引けば幸せ残る我が人生
「本日は私、釋史観の葬儀にご参列を賜り、ありがとうございます。

皆様にお育て頂き、おかげさまで有意義な七十二年間を過ごせたと思っています。

差し引けば幸せ残る我が人生であったと。この後は、阿弥陀様と 息子史朗のいる

浄土へ楽しみながら ゆっくりと旅をしてまいります。ありがとうございました。

                                  合掌」

■浄土真宗の葬儀は!
★世間のいう「告別式」
 さて、近しい人との死に出遇いますと、「お亡くなりになられた方々は、いったいどこへってしまわれたのか・・・と思うと、悲しむというどころかとても不安で辛い気持ちになります。」という話をよく聞きます。世間一般的には、告別式と申しておりますが、それは、別れを告げる式、二度と会えないからこそ、「もうあなたとは会うことができませんよ」と別れを告げる式を行うのです。行き先は「黄泉の国」とか「地獄・餓鬼・畜生など」といった冥土といわれる世界であるといわれています。

だからこそ「ご冥福をお祈りいたします」と、告別式に弔辞や弔電を送るのです。「あなたは、生前の行いにより、地獄・餓鬼・・・・という、真っ暗闇の迷いの世界に堕ちて行かれました。大変辛い世界ですが、どうぞお幸せになって欲しい」という気持ちを故人に告げているのであります。冥土での幸せとは、私には良く理解できないのですが。
 浄土真宗の門徒やキリスト教の信者にとっては、「冥福を祈る」という言葉は、故人に対して大変失礼な言葉であり、タブーとなっていることは周知の事実でございます。「ご冥福をお祈りいたします」という言葉が、何の疑問もなく発せられていることに私は、日本人の宗教に対する意識の曖昧さ(低さ?)を感じ、悲しくなってしまいます。

★葬儀とは・・・・・「終着駅は始発駅」
 それでは、今日、そして、明日お勤めされる浄土真宗の「通夜・葬儀」とはどう違うのでしょうか。葬儀をたとえて、「終着駅は始発駅」といわれた方がいます。歌手の北島三郎さんが「函館止まりの連絡線は、青森行きの駅になる・・・」と唄う同名の題がありますが、私は、電車=人生、終着駅は人生の終わり=死、始発駅=新たないのちの出発と、死んで終わりではない世界が確かに今ここにあると味わいたいと思います。

これはとりもなおさず、阿弥陀如来のすべてのものをいのち終わると同時に真実の世界・お浄土に迎え、即成仏=仏としての永遠のいのちを授からせてくださるという本願力に抱かれて、新たな仏のいのちを賜るという喜びに転じるのです。そして、私が浄土で仏になることは、私の苦悩が根本から解決されることのみで完結してしまうことではありません。

私が浄土で仏となることは、直ちに迷いの世界に還りきて、人々を真実の教えに導いてい

く大悲利他の活動を行なっていくことでもあります。千葉組のホームページの1月法話に、「新年を迎えて~終着駅は始発駅~」と題して、袖ケ浦市の法光寺 隆 康浩住職が「あぁ、私が思っていた人生の終わりは、決して終着駅ではなかったのだと気づかされます。それは、仏さまの大きな世界に摂め取られ、仏として生まれさせていただく、始発駅でもあるのだと。」と、述べていますように浄土真宗では「もう二度と会うことのできない、苦しい迷いの世界に堕ちていくのではないですよ」だから「冥福を祈る必要はないですよ」「悟りの国に生まれ、仏としての永遠のいのちを授かり、親しい人と会うことができる世界があるのだよ」と頷かせていただくのであります。

仏説阿弥陀経には、「俱会一処 くえいっしょ」と説かれています。共に一つの真実世界で遇うことができます、と。今藤崎住職は、ご先祖様、お父様・お母様、早世した愛する息子さんと再会し、つもる話を語られておられるのではないでしょうか。

■別れが悲しいことも確かです!
 しかし、喜びの世界があると同時に、悲しみ・苦しみを味あわざるを得ない世界があるこ

とも確かです。お釈迦様は、『生老病死』という四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」という四つの思うようにならない苦を合わせて八苦とされました。この八苦の中に「愛別離苦」と名付けられる苦があります。
 本堂お内陣にお荘厳されている白を基調とした生花は、平家物語の冒頭のことば

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす…」に示されるように、お釈迦様が亡くなられた時に、悲しみのあまり花の色が白に変じた故事によったものであります。悲しみの色が白で表されるのは、喪服の色にも象徴されています。歌舞伎役者の中村勘三郎さんの奥様の喪服が白であったことが話題になりました。

日本における喪服の歴史は、実は白色が主流で、「日本書紀」などに記録が残されている 

ようであります。詳細は省くとして、黒が主流となったのは、明治以降文明開化の影響で、 

西洋文化が流入し、黒喪服が取り入れられたことによるといわれています。皆様方は、悲しみを表す黒い喪服を着用し、藤崎住職の通夜のお勤めに参列されています。

先ほどお勤めされたご住職方のお衣の色は如何だったでしょうか。専門用語となりますが

「黒衣・五条袈裟・切り袴」と申しまして、お衣の色は皆様方と同じで、悲しみを表す黒で

した。

明日の葬儀では、一転して、「色衣・五条袈裟・切り袴」といいまして、お衣の色は、煌 

びやかな色で彩られます。特に御導師・副導師は、「七条袈裟」と申しまして、僧侶として 

最高のお袈裟で身を包みます。どうしてでしょう。もうお分かりのことと思います。そうです、悲しみを超えて、仏になられた故人を讃え、喜びの心を表す浄土真宗の葬儀の心を表現しているのであります。 

■追悼の歌『み仏に抱かれて』
 お亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行かれたのでしょう。その答えは、今、みなさんにお配りした、追悼の歌『み仏に抱かれて』に歌われておりますので、味わってみましょう。
『み仏に抱かれて』
1 みほとけに 抱かれて
  君ゆきぬ 西の岸
  なつかしき おもかげも
  きえはてし 悲しさよ
2 みほとけに 抱かれて
  君ゆきぬ 慈悲の国
  みすくいを 身にかけて
  示します かしこさよ
3 みほとけに 抱かれて
  君ゆきぬ 花の里
  つきせざる たのしみに
  笑みたもう うれしさよ
4 みほとけに 抱かれて
  君ゆきぬ 宝楼閣(たまのいえ)
  うつくしき みほとけと
  なりましし とうとさよ

1番の歌詞は、君ゆきぬ「西の岸」です。西方極楽浄土のことです。
2番の歌詞は、君ゆきぬ「慈悲の国」です。仏様のお心=慈悲です。人々を平等にいつくしむ心です。この慈悲の心に満ちた極楽浄土のことです。
3番の歌詞は、君ゆきぬ「花の里」です。四季の花々が咲き競う美しい極楽浄土の世界です

4番の歌詞には、君ゆきぬ「宝楼閣」とあります。仏説阿弥陀経には、極楽浄土は宝石でできた建物が描写されています。

この「西の岸」「慈悲の国」「花の里」「宝楼閣」の四つとも、お浄土・阿弥陀如来の極楽浄土を指す言葉です。亡くなられた方は、仏さまに救われてお浄土へ行かれ、すでに仏さまにっておられますからご安心ください…と歌われているのです。私が亡き人々のことを「いったいどこへ行かれたのか」と案じていたのですが、実は、亡き人々(仏として)の方から「いつまでも悲しんでばかりはおれませんよ!しっかり生きなさい!」と案じられている立場であったのです。

このことに、一日も早く気づき、私のいのちを精一杯輝かせる努力をしたいものです。それこそが、いのちを大切にし、先に逝かれた方々に応える私の生き方であったことに気づくことになるのです。

■合唱「御仏に抱かれて」

それでは、皆さまとご一緒に、「み仏に抱かれて」を唄い、終わりにしたいと思います。

■終わりに
 お時間をいただきまして、いろいろとお話しさせていただきましたが、福田寺住職藤崎史観師の72年の生涯を偲びながら、ありがとうございましたと感謝申し上げ、静かにお念仏申し上げましょう。本日は、ようこそお参りいただきました。           合掌
 なまんだぶ なまんだぶ なまんだぶ
   なまんだぶ なまんだぶ なまんだぶ

 

※この文章は、お通夜の席での御法話をもとに編集したものです。