最誓寺の紹介

千葉県 最誓寺は、

浄土真宗本願寺派(本山:京都西本願寺)のお寺です。

 

江戸時代初期の寛永6年(1629)11

月3日、初代住職釋圓智を開基として、下野国寒川郡山田村(今の栃木県)に創建されました。

 

その後、寛永15年(1638)、加知山村(勝山 現在の安房郡鋸南町)が、佐倉藩主堀田氏の所領となった折に、その命を受け、下野国から加知山村へ移転し、慈光

山最誓寺と称しました。

 

また、堀田氏は、旧地より奉持してきた聖徳太子16歳の像である「孝養太子像(行基作)を安置するため当寺に太子堂を建立し、安房の国における「太子講」の礎を築きました。

 

その後、この太子堂は、明和年間の大火、明治34年の大火等、度重なる火災や天災に見舞われ、類焼、倒壊するも、門信徒の懇念により再建、改修されてきました。

  

明治に入って、14代住職釋了雲の時、現在地(板井ケ谷 竜島1133)に土地を買い求め、仮本堂を置きました。


かつて、板井ケ谷には、勝山藩の陣屋の一部があり、現在も本堂裏には、茶の湯に用いるための水を汲んだ井戸が残されています。


昭和34年15代住職釋了教の時、現在地に墓地を移転し、昭和37年5月門信徒長年の念願成就し、本堂・庫裡を復興再建した後は、本堂内陣中央に阿弥陀如来立像、右側に宗祖親鸞聖人御絵像、左側に本願寺第8代門主蓮如上人御絵像、左余間に伝来の孝養太子像、右余間に七高僧御絵像を御安置し、現在に至っております。


平成16年秋、16代住職釋了正の時、門信徒協力のもと、老朽化していた庫裡を、幅広い用途を目的とした、近代的会館様式に改修しました。

現在、法要、法話会をはじめとする各種行事に活用されています。

    16代住職 釋了正(堀田了正)