「あまびえ」とコロナ

2020.6.15 

あまびえ コロナ
「まえびろ」ではありません。今度は、「あまびえ」です。

 

1 新型コロナナウィルスで話題になった「あまびえ」
先に取り上げた「前広(まえびろ」(安倍首相が予算委員会で発言した。)と同じ、私にとっては、初物。
「あまびえ」が政府公認キャラになったという。厚労省の新型コロナ啓発画像として起用された「あまびえ」。まず、何だろうと、右京さんでないけれど(度々ひとり言)、気になって、調べてみました。
「あまびえ」とは、ようするに疫病から人々を守るという伝説がある「妖怪」だそうです。

 

2 政府が「妖怪」頼み?
安倍政府公認のキャラクター(厚労省の公式Twitterに掲載された)が、「あまびえ」になったと、ネット上で話題になっている。

 

【「あまびえ」という妖怪を、政府公認キャラに。厚労省の新型コロナ啓発画像として起用。
「とうとう「あまびえ」様が政府公認になった」と喜ぶ声の一方、「厚労省の今やる事がこれなんだ...」と呆れる声も。】(ネット)

何でと,私は、気になってしょうがないのである。

「いつやるか?今でしょ(林修氏の常套句)」。いや、「今ではないでしょ」という声が挙がっている。
あれ?安倍政府が、妖怪頼みって、「何~~んで~かな?」って、ちょっと思ってしまう私である。

3 「あまびえ」とは
「あまびえ」を調べてみた。「あまびえ」は、江戸時代末期の1846(弘化3)年に、現在の熊本県に出現したと言われる妖怪。当時の瓦版で「病気が流行したら自分の姿を写して人々に見せるように」と伝えて海中に消えたと伝えられている。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、「あまびえ」の姿をイラストに描くことが3月以降、SNSで流行しているそうだ。
 
厚労省は4月9日、公式Twitterに「あまびえ」のイラストを掲載。「知らないうちに、拡めちゃうから。STOP!感染拡大」というキャッチフレーズが書かれており、次のように訴えた。
「あまびえ」をモチーフに、若い方を対象とした啓発アイコンを作成しました。自分のため、みんなのため、そして大切な人のため、できることを私たち一人ひとりがしっかりやって、ウイルスの感染拡大を防ぎましょう!」と。

そういえば、なんか同じようなことがあった気がする。
そうだ、「星野原さん」とのコラボ。
安倍晋三首相が4月12日、シンガー・ソングライターで俳優の星野源さんの曲「うちで踊ろう」の動画に自身が自宅でくつろぐ姿を“コラボ”として公式ツイッターにアップした。受けを狙ったという声もあった。「あまびえ」も、受けを狙ったのでしょうか。(コメントは避ける)

 

4 「あまびえ」を、私は、どう受け止めたか。
(1)仏教の教えから
仏教の教えの根本教義の一つに、「因縁果」の道理があります。
物事には、「原因(因)」があり、「縁」がはたらいて、「結果(果)」を生じるという。
はたして、「あまびえ」の絵が、病気の流行を押さえる事が出来るのか。妖怪「あまびえ」は、仏教が説く「因縁果」の法則に叶っているのか、私には分からない。
ただ、政府の「若い人たちに」うったえようとして作成した、「あまびえ」公認キャラクターが、どう若者達に伝わったかは、検証可能であろう。(そんなことする必要があるかと、お叱りを受けるかもしれない。)

 

※参照 「因縁果の法則」については、2016年10月2日,法話会「大賀ハス」にみる仏教の「因縁果の法則」をご覧ください。

 

(2)「三國志」諸葛孔明の例から
そう、何十年前か忘れたが、一時、「史記」や「三國志」に凝ったことがあった。
「三國志」は、横山光輝氏の漫画との出会いであった。
「三國志」上有名な、あの「赤壁の戦い」で、名将諸葛孔明が「東南の風」を祈祷によって起し、孫呉軍の火攻め作戦を成功に導くエピソードである。諸説あるが、諸葛孔明は、天文暦学に精通していたので、星の動きやカレンダーから風向きを観測できた,と言う説がある。
単なる、「祈祷」という所作を利用した成果ではないかということなのかも知れないが、私には分からない。

 

(3)アインシュタイン 宗教と仏教
アインシュタインがなぜ仏教を?
来日したこともあり、1921年ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタインが宗教、中でも仏教に興味を持っていたことは、何冊かの著書に示されています。
「宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である」「生きる意味はなにか、その質問に答えるのが宗教である」「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である」
私には、頷くことが出来る点が多い。

 

※参照 「アインシュタインと宗教と仏教」については、2016年3月25日,法話会「アインシュタインと仏教」をご覧ください。

 

(4)親鸞聖人の教えから
親鸞聖人の「和讃:わさん ※」に

かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす   (悲歎述懐和讃:ひたんじゅっかいわさん)

 

があります。

親鸞聖人は、その著書『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の中で、「真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう』これなり。」と明言されています。
そして、釈尊の説かれた経典は八万四千と言われるほど沢山あるが、釈尊の本心を説かれた、
いわゆる出世本懐(しゅっせほんがい)の経は、『大無量寿経』ただ一つだと根拠を種々挙げられお示しくださいました。

「かなしきかなや・・・」の和讃は、仏教の基本である、「因縁果」の法則に違う、「日の良し悪し」や「占い」に頼る自己の生き方を歎く教えを示されたといえるでしょう。

 

よく「門徒もの知らず」と言われますが、この言葉は正確には「門徒もの忌(い)まず」で、数多くある俗信・迷信を気にすることなく生活している姿を、傍から見た人が揶揄(やゆ)する言葉として使用されていました。しかしながら、真実の教えに導かれ生活している門徒は、「世間の常識」と言われているもののうち、「俗信・迷信」にとらわれることのない(忌む=穢れを避けること)生き方を本分としています。

 

今回は、解説を省きますが、忌み嫌う「世間の常識」と言われるものには、次のような行為が挙げられます。
「清め塩」「柩の釘打ち」「火葬場の行き帰りの道を変える」「仏事は友引を避ける」「結婚式は大安にし、仏滅を避ける」「不幸に見舞われるのは、先祖の祟り(たたり)である」「数字の4は「死」につながり忌み嫌う番号なので避ける」等々、数え上げたら切りがありません。これらにとらわれた生活をするとするならば、どうでしょうか。多くの人が、皆がしているから・・・・・と済ませているようですが。

親鸞聖人は、因縁果の法則に違えた行いを、現に謹むべきとお示しくださいました。

 

※和讃とは、人々に分かりやすく説くため、和語(日本語)で仏・高僧方のお徳や教えを讃える歌をいう。

代表的な和讃の一つに、「恩徳讃(おんどくさん)があります。法座や研修会・会議等で唱和いたします。


如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識(ししゅちしき)の恩徳も
ほね(骨)をくだきても謝すべし

 

八十五歳の親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、「願に生きる」決意を述べられた和讚(わさん)です。