一水四見(いっすいしけん)

●「一水四見(いっすいしけん)」
 仏教の教えに「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。
 同じ一つのものでも、見る側によって、いろいろ異なって見えることで、同じ「水」を見る場合でも、立場によって四つの様相があることをいいます。

 人間が「水」を見れば普通の水であっても、魚にとっては 自分たちの住む世界、住み家であり餌を求める生活の場。天人には 宝石で飾られ輝きを放つ池。餓鬼には 膿血で充満した河と見えたり、飲もうとした瞬間に火に変わり、からだを焼けこがず苦しみの存在に見えるといいます。(仏教の唯識学で使われている例えです。)

 このように、「一水四見」とは、同じ一つの「水」も、「人」「魚」「天人」「餓鬼」という立場で、おのおの異って見えることを例えたものです。
 ということは、自分が今、感じていることは、ひょっとしたら全く違う感じ方ができるかもしれないということです。