最誓寺は、千葉県・南房総・鋸南町(鋸山の南)にある、浄土真宗本願寺派(本山:京都 西本願寺)のお寺です。
お盆前の奉仕作業を行いました! 2024年8月4日(日)
お盆前の奉仕作業を行いました!
2024年8月4日(日)
お盆前の8月4日(日)、15時~17時。台風・コロナで中止していた奉仕作業を再開しました。24名の方々が参加してくださいました。
仏具のお磨きは、特に念入りに磨いてくださったため、ピッカピカ。
境内・墓地のお掃除は、樹木・竹等の伐採を中心に、暑い中、大汗をかきながら作業をしてくださいました。さすが、働き盛りの皆さんだと感心した次第です。
今回の作業で特に感じたことは、初めて参加くださった方々や世代交代の兆しが見えたことです。お寺に対する親の姿を見ていたからでしょうか、ありがたいことです。
少子高齢化の波は、寺院活動にも大きな影響を及ぼしていますが、伝えることの大切さを、再認識した次第です。
ご多忙の中、また、極暑の中、ご参加いただきありがとうございました。
「詩画作家・星野富弘さん」が、ご逝去されました!
「苦しみに会ったことは わたしにとって しあわせでした」 星野富弘
最近、ご法事等で「詩画作家・星野富弘(ほしのとみひろ)」さんのことを話す機会が増えました。
帰り際に、「富弘美術館(群馬県みどり市)に行ってきました。」「本を求めて読みました。」中には、「中学生の時、担任の先生が話してくれたことを思い出しました。」等々と言う方々が、予想に反して多いことに、驚かされました。
星野富弘さんは、クリスチャンですが、宗教の枠を超えて、国内のみならず、海外の方々にも愛され、生きる力・生きる喜び・生きる尊さをお示しくださっています。
口に筆をくわえて詩文や絵を描く詩画作家「星野富弘」さんが、今年(2024年4月28日)呼吸不全のためお亡くなりになられました。(享年78・1946年4月24日生)
星野富弘さんに、哀悼の誠を捧げます。
1946(昭和21)年生まれといえば、私(住職)と同年齢です。それも同じ教師。夢を実現し、希望に溢れた中学教師生活を始めたばかりの2ヶ月後、部活動(器械体操)の指導中、前方宙返りの模範演技を見せていた時に頭から転倒。頸髄を損傷し、手足の自由を失いました。首や顔も動かせなくなり、ベッドで天井を見上げるだけの生活をするようになってしまったのです。
あまりのつらさに、眠っている間に心臓が止まって死ねないか、と願ったこともあったそうです。水も食事も自分では何もとれず、一切の世話を母親がしてくれたのです。
当時のことを、星野さんはこう述懐しています。著書から引用させていただきます。
「食事は、母に三度三度口に入れてもらっていたんですが、たまたま母の手元が震えてスプーンの汁を、私の顔にこぼしてしまったのです。
このわずかなことで、積もり積もっていた私のいらいらが、爆発してしまった。
口の中のご飯粒を母の顔に向け、吐き出し、チクショウ。もう食わねえ、くそばばあ。おれなんかどうなったっていいんだ、産んでくれなきゃよかったんだとやってしまった。
母は泣いていましたよ。
よほど悔しかったのか、しばらく口をききませんでした。」と。
病床生活で星野さんの積もっていたいらだちが爆発するときも受け止めた母。星野さんが結婚するまで、詩画制作のために、絵の具を溶かしたり、紙をセットするなどして支えてきました。
そんな母親を星野さんは、『ぺんぺん草』という詩画にあらわしました。
『ぺんぺん草』
神様がたった1度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる ぺんぺん草の
実を見ていたら
そんな日が 本当に
来るような気がした
富弘
星野さんが入院して、人工呼吸器につながれ、熱にうなされていたとき、母は「わが身を切り刻んででも生きる力を富弘の体の中に送り込みたい」と思ったといいます。
星野さんは後に「私は、それほどの愛に応える術をもっておらず、何も言うことができませんでした」(星野富弘著『いのちより大切なもの』いのちのことば社)と振り返りました。そのような母への思いが、『ぺんぺん草』という詩画に結実しました。
星野富弘さんは、大きな怪我をして身体の自由を失いましたが、それによって気付かされたこと、得たものが多くあると述べています。
その一つが、「母の愛」でした。
「私はけがをして失ったものもずい分あるけど、与えられたものは、それ以上にあるような気がした。私が入院する前の母は、昼は四つんばいになって土をかきまわし、夜はうす暗い電灯の下で、金がないと泣きごとを言いながら内職をしていた、私にとってあまり魅力のない母だった。……もし私がけがをしなければ、この愛に満ちた母にきづくことなく、私は母をうす汚れたひとりの百姓の女としてしか見られないままに、一生を高慢な気持ちで過ごしてしまう、不幸な人間になってしまったかもしれなかった」(星野富弘著『愛、深き淵』)
わたしは
あなたのみおしえを
喜んでいます
苦しみに会えたことは
わたしにとって
しあわせでした 詩編119
『みょうが』という詩を紹介しましょう。
母への思いがいっぱい詰まった詩ですね。
『みょうが』
畑の草を一日中むしり
かいこに桑をくれ
夕方ひょいっと出かけてみようがをとり
それを売っては
弁当のおかずを買って来てくれたっけねえ
いつもしょっぱいこぶのつくだ煮
花の咲いたやつは安くなるからと
花を抜いて売ったこともあったよね
もんぺと地下たびの間は
蚊にさされた跡がいっぱいだった
かあちゃん
みょうがを食うとばかになるというけれど
おれは
おもいだすことばっかりです 富弘
浄土真宗のお盆の迎え方
「浄土真宗のお盆」は、一般的に言われているお盆と大きく違う点があります。
浄土真宗では、お盆のことを「歓喜会(かんぎえ)」と呼びます。阿弥陀如来の「全ての者を差別無く救うというご本願に出会った喜び、先に仏さまになられたご先祖様のご恩に感謝する会として捉えています。
ご先祖様は、仏さまになられて、私たちをいつも見守っていてくれています。ですから、お盆になると地獄の釜のふたが開き、ご先祖様が戻ってくる。キュウリの馬でお迎えし、三日経つと茄子の牛に乗せて、また地獄に送り返す。そのような、なんだか先祖を敬っているのか、いないのか、よくわからない風習もあります。従って、浄土真宗では、次に掲げることはいたしません。(一例を挙げます。)
1 お盆を迎えるための精霊(しょうりょう)棚などの「特別な準備」は必要ありませ
ん。
2 冥福(めいふく)を祈るために行う「施餓鬼供養」は、いたしません。
3 ご先祖様の帰ってくる場所の目印とする、「新盆でのガス灯」などはいたしません。
お盆の期間は、尊い仏さまとなられたご先祖様を偲ぶとともに、ご先祖様に導かれて、の日常の生き方を省みて、命の尊さや、欲を離れた施しの大切さを考えてみたいものです。
年明け早々、大災害、大事故が発生した。この年賀状を書いていた時には、予想だにしなかった出来事だった。
令和6年能登半島地震、羽田空港事故でお亡くなりになられた方々には、哀悼の意を表すると共に、被害に遭われた方々には、お見舞いを申し上げ、一日も早く平常の生活が取り戻されることを祈念いたします。
(1)【お経のおつとめは何のため?】2023(令和5)年10月10日(火)
世間一般では、お経を読むというと,①死者に回向する ②お祈りする ③精神修養をするといった,特別な意味を考えがちなようです。こうした理解に立つと,いずれも一心不乱でなければ,「キキメ」がないように思われます。
仏教テレホン相談で,こんな相談が寄せられたという話を聞いたことがあります。
「毎日お仏壇の前に座っておつとめしているのだが,読経に集中できずに,気が散ってならない。こんなに心がもやもやするなら,いっそ,お勤めをやめたほうがいいのではないでしょうか」と。
せっかく尊いお経をお勤めしているのに,日常の考え事が頭の中を横切ったりしてはもったいない,という気持ちなのでしょう。
しかしながら,そういうまじめな態度は結構なことですが,この反省が極端になり,浄土真宗の門徒として,おつとめという行為に特別なこだわりを抱くと,困ったことになります。
浄土真宗のおつとめは,死者に回向したり,ご祈祷をしたり,精神修養のためにするものではなく,お釈迦様のご説法(浄土三部経)や宗祖親鸞聖人のお念仏のお味わい(正信偈・和讃)を,繰り返し拝読することによって,み仏のお徳を讃え,お念仏の信心を喜ばせていただく報謝の行いと言えるでしょう。
だから,お勤めの中で雑念が浮かんだかどうかをこだわること自体がおかしいことです。脳裏に雑念がおこったら,むしろその雑念の中に上に述べたような「・・・・・のためにする」お勤めというような気持ちがはたらいていなかったかどうか,むしろそれを思い返して,気を引き締めたいものです。
*浄土真宗のおつとめは,仏さまのお徳を讃え,報恩感謝の心をあらわすおこないです。
(2)【浄土真宗では,なぜ「般若心経」をあげない?】
「般若心経」は,我が国でもっとも知られたお経の一つで,数多い般若経典の肝心なところを,わずか二百六十二文字で説かれた中身の濃いお経として普及しています。
しかし,浄土真宗では,このお経はもちいません。なぜなら,私たち宗門の教えにあわないからです。
いくら短いお経といっても,その内容を一口で説明するのは難しいものですが,要するに「般若心経」は,菩薩の智恵(般若)を得て,仏の悟りに近づく自力の実践行のすすめだと理解していただいて良いでしょう。
したがって,「いずれの行も及び難き身」という宗祖のお言葉に導かれて,一切の自力の行を積むことのできない,たとえ積むことができても最後まで積み通せず仏の悟りに近づけない私たち凡夫のために,救わずにおれないという阿弥陀如来の誓願を聴聞させていただくばかりの門徒には,言葉は適切ではないかもしれませんが,「ふさわしくない」お経にほかありません。
*浄土真宗での,短いお経は「讃仏偈(さんぶつげ)」「重誓偈(じゅうせいげ)」があります。「正信偈」とならんで,もっともなじみの深いものです。
2023年7月15日
周利槃特(しゅりはんどく)さんと「茗荷」
(前略)
お釈迦様のお弟子であった周利槃特(しゅりはんどく)さんは、物忘れが激しい人でした。
その周利槃特さんが亡くなった後、お墓の周りに見慣れない草が生えてきました。この草を「茗荷」と名付け、茗荷を食べると物忘れをするという俗説が生まれたのです。(茗荷の名の由来は、自分の名前が覚えられなかった周利槃特さんが、自分の名(茗)を書いた札を肩に荷い名を尋ねられるとそれを見せたというところからきています。)
周利槃特さんは、浄土真宗の根本聖典の一つである「仏説阿弥陀経」に、お釈迦様のお弟子たちの7番目に周利槃陀伽(しゅりはんだか)と出てくる人です。十六羅漢の一人に数えられる方ですが、お弟子の中で一番物覚えが悪く、自分の名前すら覚えることが出来なかったと言われていましたが、20年間続けた掃除一つで悟りを開かれたと言われています。
鎌倉時代の『方丈記(鴨長明)』や赤塚不二夫さんのギャグ漫画『天才バカボン』に出てくる「レレレのおじさん」のモデルになったと言われています。
(後略)
2023年8月27日
「周利槃特(しゅりはんどく)」さんにかけられた、お釈迦様のお言葉。
「自分が愚かであると気づいている人は、智慧のある人です。」
(前略)
●お釈迦様のお弟子であった「周利槃特(しゅりはんどく)」さんに掛けられたお釈迦様のお言葉が思い出される。
周利槃特さんは、聡明な兄のすすめで、お釈迦様のお弟子になりますが、教えを覚えることが出来ないおのれの愚かさを嘆いていたところ、お釈迦様が、「自分が愚かであると気づいている人は、智慧のある人です。自分の愚かさを気づかない人が、本当の愚か者です。」と言われ、一本のほうきを渡し、「ごみを払おう、ちりを除こう」と唱えて、掃除をしなさいと教えました。
そして20年間掃除を一生懸命続け、ゴミやちりは実は、私の心の「煩悩」であることに気づき、それを除く修行を続け、阿羅漢と呼ばれる聖者の位にまで昇りつめました。
自らを「愚」と名乗られた高僧方!
辞書によれば、「兎角亀毛(とかくきもう)」:うさぎに角が生え、かめに毛が生えることは、この世にあり得ないもの、実在するはずがない物事のたとえ。もとは戦争の起こる兆しをいったとある。噓は、絶対してはならない。
類義語に「烏白馬角(うはくばかく)」がある。
「烏白」は頭の色が白い烏、「馬角」は角の生えている馬のことで、そのような動物は存在しないということから。
「不妄語戒(ふもうごかい)」は、仏教において性別を問わず、在家の信者が守るべき基本的な五つの戒の一つ。五戒は、
いつの頃からだろうか?証拠隠滅、証拠改ざん(悲しいかな自死者まで出た)、忖度か・利害からか分からないが、証拠提出を拒む人たち。訴訟中なのでコメントできません、誤解を与えたとしたら(あなたたちが誤って解釈したのだ、私は正しい。)等々。「証拠を見せて欲しい~」私の大好きな時代劇「水戸黄門」。悪徳商人と手を組み、私腹を肥やすこれまた悪徳代官の捨て台詞を思い出してしまう。今は、令和の時代。「この印籠が眼に入らぬか」が通用しない今、国民の負託を得た人たち、先生と呼ばれることも無くなった人たちであるからこそ、次代を背負う子どもたちに恥じない言動を切に望みたい。議員さんに限らず。